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国葬は、国家が喪主となって執り行われる葬儀です。国家に大きな貢献をした人の供養として行われます。国が執り行う行事ですから、費用も国庫から拠出されるのが一般的です。
日本では、それまで天皇が崩御した場合等に「大喪」という形で葬儀が行われる習慣がありましたが、明治時代に入り、「国葬」という名が使われるようになりました。天皇のみならず、国家に功績のある皇族や臣下が亡くなった場合も、天皇からの勅令によって国葬が執り行われるケースが存在しています。大正15年には「国葬令」という形で国葬に関する規定が明文化されました。天皇、皇后、太皇太后、皇太后は「大喪儀」として国葬を行う他、皇太子、皇太孫、皇太子妃、皇太孫妃、そして摂政を務める皇族が7歳以上で薨去した場合の葬儀も国葬と規定されています。皇族以外で国葬の対象者となるのは、旧薩長藩主、太政官制の大臣経験者、首相経験者、元帥とされていました。
しかしながら、第二次大戦終結後、2022年9月15日現在までに厳密な意味で国葬に当たる葬儀は1回しか行われていません。大喪の礼は皇室が主宰する儀式であるため、厳密な意味での国葬ではありません。国葬と明文化して執り行われたのは、1967年に死去した元首相の吉田茂の葬儀で、政教分離の原則に基づいて宗教色を排して行われました。2022年9月27日には、同年7月8日に銃撃を受けて死去した安倍晋三元内閣総理大臣の国葬が計画されており、予定通り挙行されれば戦後2度目の国葬となります。
国民葬も、同様に国家に貢献した人物が亡くなった際に執り行われる葬儀です。ただし、葬儀にかかる費用を国家が拠出する国葬と違い、国民葬は国家に加えて遺族も費用を拠出します。
日本において初めて「国民葬」の言葉が登場したのは1922年の大隈重信の葬儀ですが、この時は葬儀について国家が関与したものではありませんでした。戦後になると、1975年に死去した佐藤栄作の葬儀が「自民党及び国民有志による国民葬」の名のもとに行われています。
1980年以降は現職の内閣総理大臣、及び総理大臣経験者の葬儀はその時の内閣が関与し、国費から葬儀費用を負担することが慣例化されるようになっています。ただし、元首相が最後に在籍していた政党が野党であった場合は内閣が葬儀に関与することはなく、田中角栄や羽田孜の葬儀はこのケースに該当しています。また、宇野宗佑、竹下登、海部俊樹のように元首相の最終政党が与党の場合でも内閣が葬儀に関与しない例外も存在するため、元首相経験者かつ与党関係者が必ずしも国民葬の対象となるわけではありません。
国葬及び国民葬と一般的な葬儀の違いは、葬儀の運営に国家が関わっているかどうかが最大の違いです。国家がお金を出していますから、規模も相応に大きくなります。しかし、それ以外においては一般的な葬儀と変わりはありません。故人を悼む場ですから、弔辞や弔電が読まれます。
ただし、戦後に行われた国葬に関しては先述の通り政教分離の原則から宗教色を排して行われます。1967年の吉田茂の国葬に関しては開会後一分間の黙祷の後、当時の首相佐藤栄作によって追悼の辞が読まれ、皇族からの供花、遺族や外国特使からの献花、儀仗隊による弔銃斉射といった流れで進み、閉式の後出棺されました。この間、読経や焼香といった宗教色の強い行程は行われていません。2022年9月27日に予定されている安倍晋三元首相の国葬についても、同様に宗教色を排した内容で執り行われる可能性が高いです。
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