日比谷花壇のお葬式
日比谷花壇の葬儀保険
オハナクラブ入会方法
青山霊園は、1872年(明治5年)、美濃国郡上藩(現在の岐阜県郡山市)の藩主青山家の下屋敷跡地に明治政府によって造成されました。 当初は、神道のみの神葬祭の墓地でしたが、仏教徒やキリスト教徒の要望もあり、1874年(明治7年)に公共の墓地になりました。 その後、斎場などすべての建物が東京都へ寄付され、1926年(大正15年)には日本で初めての公営墓地となりました。
青山家の名は地名の由来にもなり、都心にありながら豊かな緑と多くの著名人の墓所や外人墓地があることでも有名で、それゆえ墓参りの方以外にも散策や歴史好きの方も多く訪れます。 霊園内には、南北を貫く通路に沿って桜並木があり、毎年春になるとお花見スポットとして多くの見物客でにぎわいます。
明治期の有名人で青山墓地に墓所があるのは、維新の三傑の一人と称された大久保利通、近年その生涯がドラマ化された日本陸軍騎兵の創設者である秋山好古、その弟の秋山真之、第2次内閣総理大臣の黒田清隆、第29代総理大臣犬養毅、初代文部大臣を務めた森有礼と、そうそうたる近代日本の偉人たちです。
ほかにも、土佐藩士で明治時代には大臣を歴任した後藤象二郎、日露戦争の名指揮と明治天皇を慕い殉死した乃木希典の墓所もあります。
歌舞伎役者の市川団十郎の墓には、近年亡くなった十二代目を含めた歴代の団十郎が眠っています。 同じく歌舞伎役者の中村歌右衛門(初代、二代目、三代目、六代目)、狂言師の野村万蔵の墓もあります。
文学界では、明治期の文壇の重鎮であった尾崎紅葉、小説家で編集者であり『婦人画報』の創刊者である国木田独歩、江戸を舞台にした捕り物小説や新歌舞伎などの作品がある岡本綺堂、白樺派を代表する小説家の志賀直哉、近年では「ショートショートの神様」と称される星新一の墓所もここ青山霊園にあります。
学者や芸術家、思想家の墓も多く、たとえば医学の有名人では「日本細菌学の父」と呼ばれる北里柴三郎や精神科医である歌人でもある斎藤茂吉、その長男で同じく精神科医で作家の斎藤茂太などがあげられます。
実業家では、真珠の養殖技術を確立し、ブランド化に屈力した御木本幸吉の墓もあります。
有名人ゆかりの人物としては、西郷隆盛を支えた妻の西郷糸子、長男の西郷寅太郎の墓も。 ちなみに、西郷隆盛自身の墓は、鹿児島県何州墓地にあります。
青山霊園内にある外人墓地通りを通っていくと、外人墓地がひっそりと広がっています。 19世紀後半から20世紀初頭に日本で亡くなった外国人のためにつくられました。 様々な国の外国人が眠るこの墓地には、西洋式の墓石が並んでおり、現在は東京都が特別管理しています。 その中には、幕末にアメリカで帰化した後、日本で通訳として活躍したジョセフ・ヒコ(日本名、浜田彦蔵)の墓所があります。
また付属の立山墓地には、幕末期に赤報隊隊長として有名な相楽総三の墓もあります。
こちらのサービスについて詳しく知りたい方はお電話ください
サービスについてのご質問・ご相談をお受付いたします。いつでもお気軽にお電話ください。
この記事を書いた人
お墓・供養 その他
お供え花
お墓
日比谷花壇のお葬式とは?
日比谷花壇のマネープランニング
お葬式
終活