[父の終活と母の形見] Vol.7
お正月とお葬式は、家族で過ごしたい!

[父の終活と母の形見 ]Vol.7 お正月とお葬式は、家族で過ごしたい!

この『父の終活と母の形見』では、娘の立場から、父がおこなっている終活と、心臓の病で2年前に突如この世を去った母がのこしてくれた遺品について、それぞれお話をしていきたいと思います。終活といっても、何を整理するかは家庭によって様々かと思います。このコラムで綴るお話はあくまで我が家の一例ですが、このコラムをつうじて「これはやっといた方がいいな」「そこを整理しておかないと子供が困るのか」といった、皆様の終活への助力や興味につながれば幸いです。


高齢の父とふたりで過ごすお正月

「あけまして、おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
実家の最寄駅まで私を迎えにきてくれた父の元気そうな姿を見つけると、私たちは互いに笑顔で新年の挨拶を交わしました。
昨年の2020年は、誰もが予想だにしなかったコロナという感染病のせいで、生きているだけでありがたいと感じられる年でした。高齢の父はなおのこと、こうして元気に年を越せたことに感謝しかありません。
お正月といえば、本来は家族揃っておせち料理をいただきたいところですが、今年はコロナの影響でそうも言っていられません。
私たち家族もそれぞれが近い場所に住んでいるとはいえ、私と兄たちが一同に父のもとに集まるのは躊躇われ、それぞれが日にちをずらし、個別に父と会うことになったのでした。

「正月は誰も会いにきてくれないかと思った」
このご時世のなかで、父は心細くそのようなことを思っていたようです。
しかし、子供たちが順番に会いにきてくれることを知った父は、嬉しさのあまり張り切っておせち料理を買い込み過ぎました。
「お父さん、この大量のイクラはなに!?」
冷蔵庫を開けた私は、買込まれたイクラを目の当たりにして声をあげました。
それを聞いた父はバツが悪そうに「ひとり二箱食べるかなと思って……」と呟きます。
イクラだけではありません。大量の数の子に、大量の高級牛肉が冷蔵庫にひしめいています。
昔、母が生きていた頃は、おせち料理は母がつくってくれていました。黒豆やお煮しめ、昆布を煮るほんのりと甘い香りが家中に漂っていたものです。しかし、父は料理ができません。けれども、子供をもてなしたい気持ちがあふれて、私たちが好きそうなものをスーパーで買い込んでいたのでした。
失敗したかな、と不安げに私の顔を覗き込む父を見て、私は思わず笑ってしまいます。
「ありがたく、いただきます」
そう言って、父が用意してくれたやたらと豪勢なおせち料理に私は舌鼓を打ちました。

おせち料理の代名詞ともいえるお雑煮は、今年は私より一足先に父に会いきた兄が作り置きしてくれていました。
実は、このお雑煮のレシピは母直伝で、私が以前母からたまたま教わっていたものです。母が逝去したあとに、私から兄にレシピを伝え、いまではそれぞれが美味しく作れるようになりました。
お雑煮は昆布とかつお節で出汁をとり、かしわと大根、三つ葉などをいれます。父の生まれ故郷で食べられているお雑煮で、生前の母曰く「結婚したてのころ、お父さんのお義姉さんから教えてもらったの」だそうです。
それがいまでは、我が家の正月には欠かせない定番料理として息づいています。
あらためて振り返ると、あのとき母に教えてもらっておいて本当に良かったなと感じます。
そうして、年のはじめに家族とお雑煮を食べていると、母と一緒に新年を迎えられたような晴れやかな心持ちになります。

家族が愛情込めて弔うお葬式

しかし、年が明けたおめでたい空気とは裏腹に、テレビのニュース番組はコロナの話題で持ち切りです。
「最後は、家族の顔をみながら見守られて逝きたい」
ニュースをみながら、ふと父がそう言います。
熱々にあたためたお雑煮を食べながら、私は思わず父の顔を見上げます。
父はこれまで家族のためだけに働き、家族の喜ぶ顔をみるためだけに生きてきたような人です。物欲や私利私欲というものが、ほとんどありません。
「自分がほしいものなんてないんだ。子供たちに遺すことだけが父さんの楽しみだから」
いつも、そう言って屈託のない笑顔を私に向けてくれます。
そんな父の最後のときなど想像したくもありませんが、普段から欲のない父が望むことならば、そのときになったら、娘としてはできるかぎりのことをしてあげたいものです。
「そういえば、お父さんはどんなお葬式がいいの?」
お雑煮に浮かぶ少し焦げたお餅の表面を箸で突きながら、私は尋ねました。
父は少し考えてから「家族葬がいいな」と、感慨深げに言います。「あれは、本来のお葬式という感じがする」と。
家族葬とは、その名のとおり家族や親族など、少人数で執り行うお葬式のことです。少人数とはいえ、小規模のお葬式である必要はなく、お葬式の内容や費用はさまざまです。最近では、豪華な家族葬を希望する遺族も増え、数百万円の家族葬をされる方も多くいるようです。
「内容は任せるよ。子供たちが見送ってくれたら、それだけでいい」
父のこの言葉に、やはり父にとっては家族がなにより大切で、人生においてかけがえのない存在なのだと感じて、私は一瞬胸がいっぱいになります。
「わかった。じゃあ、そのときは私が好きなお花を式場いっぱいに飾って、華やかに見送ってあげるからね」
父に向かって私は力強くそう言います。
「ありがとう」
父はいつもの屈託ない満面の笑顔を、私に向けてくれました。私も頷いて、焦げたお餅にかぶりつきながら笑顔を返します。
「ちょっと、お餅焼き過ぎたかな」
お雑煮をすすりながら、私と父は顔を見合わせます。熱々のお雑煮を食べながら、体の芯からあたたまったように感じました。

満足のいく人生最後の瞬間とは?

きっと、いざというときのことなど、誰しも考えたくはありません。
それでも、イメージしてみることによって、はじめて自分の想いに気付き、その願いを叶える準備を行うことができるのではないでしょうか。
そして、その想いをご家族に伝えることができたなら。遺される家族にとっても、それがいつか大切な指標になるはずです。
いつの日か訪れるそのときのために。心と心をかよわせて、ご家族で満足のいく見送り方、見送られ方を考えてみてはいかがでしょうか?

[ 関連リンク ]
お花あふれるお葬式 by HIBIYA-KADAN

[父の終活と母の形見] Vol.1

この記事を書いた人

ライター / プランナー 
野村みどり(ノムラ ミドリ)
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